映画とは、何でしょうか?昨今、何が映画で何は映画でないのか判然としなくなり、そんな問いかけさえ無効な状況が、なし崩しに進行しているような気がします。その起因は、きっと、デジタル化にある(いや、それだけではないかもしれない…)。映画がデジタルにすり替わってきたこの十年余り、そこはかとなく違和感を抱きながらも、ぼんやり過ごしてきてしまいました。気がつけば何もかも情報化し、劣化しているようにも感じます。
この際一念発起して、デジタル化された「映画」がどこへ向かおうとしているのか、あるいは「映画」とはそもそもどこからやって来たのか、その過去と未来を射程に入れながら、「映画」とは何なのか、この現在において考察する機会を持ちたいと思います。ああ、大変だ… [七里圭]
第3回「響きが光と溶け合うことで」
音楽は映画にとって、サイレント時代から常に重要な表現要素の一つでした。音楽に限らず映像に付随する音、サウンドトラックという存在は、デジタル環境で映画が成立することで、どのような変容をするか、あるいはしないのか。映画と音・音楽の一筋縄ではいかない関係とその歴史に目配せをしながら考察します。また、4月26日に上演される「映画としての音楽」についても振り返ります。
小沼純一(音楽文化研究・批評家・詩人)× 池田拓実(音楽家)× 七里圭(映画監督)
池田拓実
コンピュータ音楽家・パフォーマー・作曲家。第4回AACサウンドパフォーマンス道場優秀賞(2009年。愛知芸術文化センター)。七里圭監督作品「ホッテントットエプロン-スケッチ(作曲:侘美秀俊)」「DUBHOUSE」「Tothe light」にて演奏・音楽制作。
主催:charm point 助成:アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)