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特集上映「<ほぼ>11AM劇場 名画発見!」

3月20日(金)〜3月26日(木) 各日10:45より上映

写真:『夜あるいはなにものかへの註』より、主役の老婆を演じる大道夕子(写真提供:高野達也)

日時

3月20日(金)〜3月26日(木) 各日10:45より上映

料金

【2/29(土)10:00よりオンラインおよび劇場窓口にて販売開始】一般¥1,800/シニア(60歳以上)¥1,200/ユース(19歳〜22歳)¥1,100/アンダー18(16歳〜18歳)¥1,000/ジュニア(15歳以下)¥800/UPLINK会員¥1,000(土日祝¥1,300)/UPLINKユース会員(22歳以下)いつでも¥1,000  ※本特集上映は水曜サービスデー適用外となります

詳細 DETAIL

アップリンク渋谷で異例のアンコール上映が続く『沖縄のハルモニ』の監督、山谷哲夫氏が自ら選出する“今、観るべき”記録映画。一週間に渡り、メディアでは紹介されることの少ない貴重な作品の数々が連日午前中に上映される人気シリーズの第四弾。今回より10:45からの上映開始となり、「<ほぼ>11AM劇場」と名前が変わりました。

3/20(金祝)、22(日)、25(水)『夜あるいはなにものかへの註』

『夜あるいはなにものかへの註』(1977年/70分)

監督:千秋健
舞台構成演出:高野達也
美術:星埜恵子
照明:辻本晴彦
演劇公演協力:同和会千葉病院
撮影:中島彰亮

「精神病患者が演ずる狂気—『夜あるいはなにものかへの註』を上映。この強烈な印象を観客に与えるのが、この一作きりで舞台から消えた「異次元」の役者「大道夕子」である。出るだけで、舞台に緊張感が走る。脚色、演出を担当した高野達也も天才的だが、最大の功績は「大道夕子」を発見したことである。たまたま、関係者宅で、原版が発見されたため、「異様」としか言いようのない作品を公開します」(山谷哲夫)

──精神病院に入院している患者ばかりによる舞台劇を記録した『夜あるいはなにものかへの註』(監督千秋健、白黒16ミリ、一時間十分)が完成。この演劇公演はあくまでサークル活動の一環で、たまたま小劇場運動をしていた高野達也さんが看護助手として同病院に勤めたことから、本格的な演技指導を受け、全国でも初めての公演に踏み切ったものだ。大田省吾の戯曲「老花夜思」や石沢富子の「木蓮沼」などより高野達也・脚色のこの劇の主人公は老女。ただ普通に暮らしたいと願う彼女は夜の保護室をさ迷っているうちに幻想の世界へ踏み込む。ふと気付くと、洗面器の水に自分の顔が写っている。「私が笑っている。私が笑うなんて、そんなに私をいじめないで」。こう叫んで老女は現実の保護室へ帰っていくー。映画は舞台をライテングもせずそのまま実写している。暗やみの中から出演者の白く塗った顔が浮き上がり、異様な光景だ。出演者の大半が長いセリフを少しのトチリもなく話す。とりわけ主演の女性の迫真の演技は出色。(77年6月1日読売新聞夕刊より)


3/21(土)、24(火)『天皇の名のもとに』+『沖縄のハルモニ(アップリンク連続10回上映記念)』

『天皇の名のもとに—南京大虐殺の真実』(1995年/50分)

監督:クリスティン・チョイ+ナンシー・トン
提供:ビデオプレス

「1937年12月、余りにも早く、当時の中国の首都南京を陥落させた「皇」軍兵士は逃げ遅れた市民、とりわけ女性に対して乱暴狼藉を働いた。女であれば、幼女から老女まで猟奇的に犯し、行為後、証拠隠滅のため、殺してしまうことが多かった。生き残りは病院に運び込まれて一命をとりとめたが、それは一部でしかなかった。それを家庭用撮影機で「盗撮」していたのが、米国の牧師ジョン・マギーであった。ここに写されている「皇」軍兵士は、紛れもなく、私たちの父、叔父、そして学校の先生・お寺の住職である。英国映画協会、ニューヨーク近代美術館フイルムアーカイブにも所蔵されていない、このフイルムをよくぞ探し出した! 「皇」軍幹部は英米各紙が報ずる強姦の多さ、惨たらしさに辟易していた。そこで、強姦予防策として、性に飢えた「皇」軍兵士に代わって「下賜」されたのが、植民地朝鮮の「慰安婦」である。南京事件は「慰安婦制度」を考える原点である」(山谷哲夫)

『沖縄のハルモニ』(1979年/86分)

監督:山谷哲夫

「沖縄が本土復帰し、本島南部のサトウキビ畑に囲まれた三畳の「掘っ建て小屋」に隠れ棲んでいた元「慰安婦」が発見された。栄養状態が悪く、たまに気分が良い時、路上で訳の解らない言葉(朝鮮語?)で吠えていた。噂を聞きつけ、ソウルや東京から女性作家、教授たちが会おうと試みるが、ハルモニ(おばあさん)は鎌を振り上げ、面会拒否。ハルモニはいくら同胞とはいえ、偉そうな女性は大嫌いだった。代わりに、小屋の中に招かれたのは、30歳になったばかりの歴史に疑いを持たない「優等生」監督だった…。それが「日本に勝ってほしかった」を未だに公言する「元朝鮮人慰安婦」の前で、青年監督が取り乱した」(山谷哲夫)

★上映後、各回ともに山谷監督の挨拶あり


3/23(月)特別上映:『在日—戦後50年史歴史編』  

『在日—戦後50年史歴史編』(1997年/135分)

監督:呉徳洙    

「21世紀を迎え、在日の人たちは旧来の貧しい生活から、豊かになり、高等教育も受ける人たちも飛躍的に多くなり、日本社会と新しい関係を模索し始めてきた。この流れを、ボクら日本人、一人一人がどう受け止めるか? 問われているのは、ボクらのような気がする…。「在日韓国・朝鮮人」と、帰化して日本人となった人たちが、なぜこれだけ日本にいるのか?この問題をとことん追い詰めた労作。1日1回限りの上映。めったに見れない「在日理解」の決定版」(山谷哲夫)  


3/26(木)『小三治』祝2020年「朝日賞」授賞記念上映

『小三治』(2009年/104分)

監督:康宇政

「“思索する噺家”として伝説的な存在となっている小三治。高齢のため、高座に上がる回数は少なくなっているが、11年も前に撮ったこの映画を見てもらえば、全盛期の小三治の張りがじわーっと伝わってくる。「小三治を見ずして、古典落語「鰍沢」を聞かずして、死ぬなかれ!」 この意味が『小三治』緊急上映会で得心してもらえるだろう」(山谷哲夫) 

★上映後、本作制作の安西志麻さん挨拶あり

「<ほぼ>11AM劇場 名画発見!」開催に寄せて(文:山谷哲夫)*随時更新


 少なくとも約1万人の『令和退屈ボーイズ、レディーズ』がシブヤ周辺のミニシアターに毎週、浮遊している。

 3年近く、アップリンク渋谷で40年前に監督した映画『沖縄のハルモニー証言・従軍慰安婦』を上映している。何と連続10回上映である。おそらくアップリンク渋谷でも、記録に残るだろう。40年も前の旧作だから映像に傷が入ったり、音が劣化して聞きずらい。映像の傷は映写技師にお願いし、応急処理を施しているが、音の歪みだけはどうにもならない。そこで金をかけ、後輩の好意で日本語字幕をわざわざ入れた。これで、安心して見れる。

 ほかに4本も監督し、他に大作2本も制作統括しているのに、なぜか、『沖縄のハルモニ』だけが動きが激しい。書き下ろした本『じゃぱゆきさん』も出版社を3回も変えて、約10万部も売ったベストセラーだが、最近はうんともすんとも動きがない。その中では、もともと資金不足で8ミリカメラで撮影した『沖縄のハルモニ』は異様な作品である。

 10回もアップリンク渋谷で上映するたびに満席(最近では、やりすぎのため減少)が続いたが、笑い声が絶えなかった。多くは失笑である。主人公である裴奉奇ばあさんが「日本に勝ってほしかった、ええ、私は勝つと思ったんですよ」と、しれっと断言されて、その言葉をどう捉えていいか、混乱しているところが客には面白いらしい。また、美空ひばりの「リンゴ追分」の歌詞をボクは良く知らないので、それをなじる裴奉奇さんに急かされて、「リンゴの…」と音痴の声を張り上げて歌うところなんて、「一生一代の「恥」だから絶対切るように」編集者に厳命したが、その編集者がおもしろがって生かしてしまう。スタッフ仲は最悪だったが、いざロードショウを迎えると、客が押し寄せ、客が払う千円札で段ボール箱がはちきれんばかりであった。それが、40年も続いているのである。

 『沖縄のハルモニ』というボロボロの8ミリ映画は、山谷個人商店にとって歌舞伎「忠臣蔵」と同じく、客が不入りの時に使う「特効薬」であった。それが今回も同じパターンになった。コロナウイルス禍でシブヤ映画街は客足がばったり、止まってしまった。その中でも「アップリンク渋谷」3館は健闘している方だ。圧倒的に強い「新聞記者」をこの時期に上映しているからだ。ここだけは「満員御礼」札止めが続き、当日券はもう出していないようだ。

 でも、残りはやはり苦戦している方が多い。その中で3月20日より、第四次「ほぼ11AM劇場」を開催するのだ。こちらは1本だけ、10年に1本出てくる傑作を最初に掛ける。『夜あるいはなにものへかの註』という、精神病院の患者が舞台で「狂気」を演ずる、といった複雑に込み入った芝居で、1度見ると確実に脳裏に焼き付かれる。ボクは2回目だし、さして「霊感」が発達している方ではないが、上映後3日3晩、ベッドで高熱を発した。その面では、『夜あるいはなにものへかの註』は別格の魅力を持った異色作である。

 問題はほかの作品である。特に『沖縄のハルモニ』は前回、3日のうち2日間だけ、30人を切り、神通力が衰えたかと思った。それが今回は予約が快調で、前回ほどの酷い数字は出ないようだ。でも、「興行は水物」で安心はできない。作品の力と、ボク個人の友人、知人たちが本当にアップリンク渋谷まで、足を運んでくれるか、が勝負である。

 知人、友人たちにもう40枚も手紙を書いた。後は毎週、シブヤに浮遊する推定約1万人の「令和退屈ボーイズ+レディズ」がどう動くかである。今まで3回も『沖縄のハルモニ』が終映後、30分だけ時間を作ってもらい、20~70代の「令和退屈ボーイズ+レディズ」の人たちと話してきた。驚くほど学歴が高い人、アンテナが高い人、そしてオシャレな人が印象的だが、監督自ら対話を始めると、向こうも乗ってきて、熱い「慰安婦」論、「昭和天皇の戦争責任」論へと論が広がっていく。この出会いを機に映像業界に入る人、日本近代史を米人歴史学者の視線で捉えなおす人も出てきている。今回はどんな人が現れるか、楽しみである。


 映画評論家というのは日本社会の「半端者」が大半だ。今でも、ボクのような低所得者に「カンパ依頼」が迷い込む。還暦を迎え、年収が激減し、NYの「バーンズ&ノーブルズ」で何箱も映画の本を船積みで自宅へ送ることが不可能になった。5年前、渋谷のあのバカ高い家賃を払いきれず、練馬区光が丘に「都落ち」した時、最も困ったのはNYやロンドンで大量購入した英書、特に専門であるドキュメンタリー映画関係の膨大な本である。幸い、外国人客が目立って多い救世軍のバザーで一部引き取ってもらったが、それでも書庫に大量に埋まっている。

 ドキュメンタリーを学ぶ、ということはそれだけの本と1920年代のグリアソンから現在に至るドキュメンタリーを系統だって見ていくことである。20年間、日本映画学校でドキュメンタリーを教えてきたが、理論・歴史よりもこの現実をどう撮るのか、実践的なことにボクの興味はだんだんと移ってきた。だって、本を読んだり、書いたりすることよりも、実際に自分でカメラを回した方が何倍も楽しいんだから…。

 でも、本を読んだり、英国映画協会の試写室で古典を見たりしてきたことが、ボクの基礎になっていることは間違いない。だから、日本の映画評論家と言われている人たちの浅さ、無学ぶりが時たま、カチンとくる。1999年に「ファザーレス」という父とゲイの息子の葛藤を描いたドキュメンタリーの制作統括をやったが、試写を終えてからある事件があった。オカマで売っている映画評論家が、主役の青年に向かって「こんなもんじゃ、ないわよ。私たちはもっとひどい目にあっているんだから」と、万座の前でぶしつけに罵るのである。総責任者であるボクに不満をぶつけてくれれば、ボクが相手をする。口下手だが、いざドキュメンタリーのことになると、こんなチンピラなんか、あっという間に黙らせてあげる。

 でも、この自称「評論家」はボクではなく、喧嘩相手を一番ひ弱そうな若い主役を選んだのであった。主役は言われるがままで、見ていて可哀そうだった。このゲイは業界内でも、評判が悪く、弱い者いじめの常連だった。NGO業界で広報の仕事が長いかみさんも、この自称「評論家」を試写室で見ていて、余りの態度のでかさにぶったまげていた。今まで書き下ろした1冊の本もなく、ラジオなんかで「映画評判記」を言うだけの男だが、「廊下トンビ」として、Aのパーティーで聞きこんだことを、Bのパーティーで「極秘情報」として売り込んで生きてきたのだ。

 やがて、余りにも弱い者いじめが過ぎるので、ラジオや週刊誌を外され、その後、どう生きているか、誰もが知らない。自称「評論家」の末路は哀れなものである。それに比べれば、ある映画評論家はまだ許せる。単行本も何冊か出している。でも、「おやっ」と思わせたのは、ボクたち監督に目の手術代を払わせようと、カンパ状を回したことだ。おそらく、医療費が高く、困り抜いて、前代未聞なお願いをしたようだ。でも、貰ったボクは「お金を払うのは良いが、でもこの人は払った監督の作品を冷静に書けないぞ、卑しい」と、結局はカンパを拒否した。

 ボクはNGO業界をかみさんの関係で少しは知っている。それに出版業界も10冊ぐらい本を書き下ろしているので、詳しい。最後に映画業界である。この中でダントツに人材が上質なのはNGO業界である。高収入な前職を投げうち、カンボジア難民救援に奔走する人たちは、同じ日本人でも別格である。次いで、出版業界の編集者たちである。確かに、頭は切れる。ただし、所属しているのが、大会社か、中小零細かでその人の運命は激変する。どれほどの編集者が中小零細会社の倒産によって、失業者になっていったことか!

 最後、映画業界のことに触れたい。こここそ、日本社会の最底辺で、学歴、年収等、最悪である。その代わり、緩いのである。前述したゲイの評論家はおそらくきちんとした「日本語」が書けないのだろう。長い文章は見たことがない。配給会社の人たちは封切り前の作品にケチをつけられたくないため、こんなチンピラや、自称「革命浪人」達を「先生、先生」と持ち上げて賞賛の記事を書いてもらおうとする。でも、配給会社の社員たちは「面従腹背」で、仲間内では、「今日も来たぜ、半端者たちが。まあ、イバラしたいだけ、イバラしとけ、どうせ、ここ以外、相手にするところはないんだから、半端者め」


 今を時めく東海テレビのプロデューサーが「私たちの企画にタブーはない」と、朝日新聞のインタビューに勇ましく答えていたが、「この人は増上慢になって、自分の足元が見えないのか」と、がっかりした。「人生フルーツ」等、今でも全国でロングランされている東海テレビの代表作等で、ボクは東海テレビやプロデューサーたちに好意を持っていたが、この発言で「軽薄な人」だと、蔑視し始めた。東海テレビに限らず、どこのテレビが「昭和天皇の戦争責任」を取り上げたか? せいぜいが、皇室PRしかできないだろう。「昭和天皇の戦争責任」こそが、今なお日本の最大のタブーなのだ。下手に触れば、火傷をする可能性が強い。

 一つは民放では、内規で「皇室を批判しない」と明文化され、どれだけ若手が「昭和天皇」をテーマにしたいと企画書を上げても、握りつぶされるのがオチである。その証拠に敗戦後、75年も経っているのに、どの局が「昭和天皇」の功罪を取り上げたか? 民放以上に厳格なのは「公共放送NHK」である。昨年も再放送された「インパール」は傑作である。この無謀な作戦を企画した牟田口中将の責任は実によく掘り下げている。しかし、最終的に兵糧不足で断末魔が待ち受けているこの作戦をOK出したのは、大元帥陛下(昭和天皇)なのだ。

 15年戦争は47年からの「極東軍事裁判(略して東京裁判)」でかなりのところ、裁かれ、東条英機陸軍大将以下、戦争指導者は絞首刑となっている。南京事件は松井石根大将一人が責任を取らされて、もう一人の責任者朝香宮は皇族だから責任を問われることはなかった。副官だった長勇は「朝香宮が殺せ」と命令した、と述べているのに…。

 朝香宮以上に責任がある「大元帥」陛下は、「東京裁判」に証人、もしくは被告として姿を現さなかった。実はマッカーサーともう取引が出来ていたのである。マッカーサーは日本統治を効率的にやるために、天皇の協力を必要としていたし、一方昭和天皇は「東京裁判」を逃れるために、「戦争責任」を部下たちに押し付ける必要があった。

 そこで選ばれたのが、昭和天皇に絶対服従する東条英機陸軍大将である。天皇制を守り、昭和天皇に罪が及ばないように、戦争責任は東条たち陸軍高官に全て被ってもらうしかなかった。南京事件も、皇族朝香宮を助けるために、結核を病んでいた松井石根大将に全責任を負ってもらうしかなかった。

 でも、アメリカの歴史学者ハーバード・ヒックスが何十年もかけて、公文書や天皇側近の侍従たちの手記を調べていくと、日中戦争の時は決して好戦的ではなかった昭和天皇が、日米開戦から作戦指揮まで介入し、ガダルカナル作戦失敗は昭和天皇の現場無視の「頭でっかち」な作戦指揮にあったことが良く伝わる。著書「昭和天皇」上下巻 2002年 講談社刊参照。作戦現場では、皇居から発せられる命令に反する将校はいなかった。だから、事前に情報をつかんだ米軍に、ウサギ狩りの獲物のようにバタバタ殺されていったのだ。

 戦後、アメリカの核の傘の下で「憲法9条」をお守りに、日本は朝鮮特需、ベトナム特需等の追い風を受け、ともすれば「昭和天皇の戦争責任」追及を忘れがちである。宮内庁側も「ミッチーブーム」を生かし、もう戦争の暗いことを忘れさせようとし、美智子皇太后の性格で見事それに成功している。しかし、あえて言いたい。じぶんの忠実な部下たちを巣鴨プリズンで絞首刑にさせ、最高責任者「大元帥」陛下だけが責任を取らないのはズルイ。少なくとも、敗戦後、退位だけはすべきであったろう。そして、自分の名のもとに死んでいった約300万人の日本人と、1000万を超える中国人たちに詫びるべきである。
 
 3月21日土曜日、3月24日火曜日に『天皇の名のもとに』+『沖縄のハルモニ』を上映します。ボクのような元全共闘日和見派が壇上に登り、今や危険になりつつある「天皇の責任問題」をおずおずと語ります。観客は0かと覚悟していたのですが、びっくりするほど予約が増えてきました。「三島VS東大全共闘」ほどに盛り上がれば、うれしいんですけど…。


 本当の敵は・・・。

 大学入学後、大学授業料値上げ反対闘争、ベトナム反戦、沖縄復帰闘争、金大中救援運動などに、「後衛」として関わってきた。もともと、「ヘタレ」(意気地なし)なので、最前線で、「切り込み隊長」という「前衛」ではなかった。だから、ゲバ棒をもって防衛庁に突撃していった友人から「日和見め」と軽蔑されていた。たまたま留学していた英国で75年に「サイゴン開放」を迎え、帰国後はアジアの問題ばかり、取り上げるようになっていった。その一つが、当時目立っていた「フイリピン女性の性虐待」で、『じゃぱゆきさん』という題名で85年に単行本を書き下ろした。

 その当時はそれでよいと思っていた。しかし、70歳代に『昭和天皇』(ハーバード・ビックス著 講談社上下巻)を2ヵ月以上かかって読み込んで、自分の歴史観、特に15年戦争観がいかに無知か、思い知らされた。日本の「国体」-日本の統治システムを、ぼくはこの大著を読むまで良く解らなかった。すべては天皇のためにあるのだ。しかし、その天皇は「大元帥」陛下であるにも関わらず、敗戦後は責任を取ろうとはしなかったのである。一見、天皇制は堅牢な造りであるが、再上端へ行けば、「がらんどう」で、誰もがいないのである。「大元帥」陛下自身が、陸軍に押され、自分はしぶしぶ裁可をした、と逃げ口上を米軍に示唆するし、だれが本当に責任者なのか、未だに不明なままである。

 一応は47年「極東軍事裁判」で、東条英機陸軍大将たち、陸軍幹部に責任を取らせ、「絞首刑」で幕を閉じたが、昭和天皇自身は「アンタッチャブル」で、裁判に証人、もしくは被告として顔を出すことはなかった。裏で天皇側近たちと、日本統治をトラブルなく終わらせたいマッカーサー側との「取引」がなされていた。その結果、部下・東条たちは全部の罪をひっかぶって絞首刑、その反面、昭和天皇は「人間宣言」し、戦争責任に関して「知らぬ、存ぜぬ」を最後まで貫いた。

 こんな国というのは他にあるか? 共に戦ったヒットラーは追い詰められて自殺し、ムッソリーニはパルチザンにより、「リンチ」でなぶり殺しにされている。その面では、昭和天皇はうまく生き延びた。でも、昭和天皇は彼の命令のもとに死んでいった約300万人の日本人、それに15年戦争で少なくとも1000万人も死んでいった中国人に死ぬまで謝っていない。

 人生の終わりに、ボクはもう一度、「15年戦争」、特に責任の取り方を学ぼうと決心した。あまりにも、時間が経過しているし、今どきこれを学ぶことにどれだけ効果があるか、疑問視する人が多いと思うが、ボクは「福島第一原発」事故後の東電会長(当時)と、戦争責任を無視した昭和天皇の生き方を同根だと思う。

 一言で言おう。「無責任」。


 うれしい話もあるんだ…。

 毎日、毎日、新聞、テレビを見ると憂鬱になる。
コロナウイルス禍で、全世界が「パンデミック」の真っただ中である。

 シブヤの興行街も、「御通夜」のようだ。
しかし、第四次「ほぼ11AM劇場」では、本番近くになって異変が起こりつつある。

 それは『在日』という(故)呉徳珠監督の97年の作品が、めきめき予約が増えてきたことである。
日本に現在、約100万人いる在日(韓国・朝鮮人)+日本に帰化した人たちを延々と追った力作である。特に、北朝鮮に帰った約10万人もの在日朝鮮人を撮影しているところは、涙なしには直視できない。彼らの生活状況、特に「朝鮮人部落」とさげすまれてきた場面は目をそむけたくなる。

 3週間前から予約を募っていたが、予約数はわずか1。それが14日まで続いたが、15日以降、めきめきと上昇してきた。19日には5まで上がった。固定ファンが付いている『天皇の名のもとに』+『沖縄のハルモニ』は、こんな状況下でさえも、もう10まで達している。それに比べても、善戦である。
ボクはこれを助監督だった金聖雄監督の支援SNS+日ごろの人望、それに加え呉監督の遺族の方たちの働きかけがようやく奏を効した、と判断している。

 映画の質は良い。もっと多くの人に見られるべき大作である。ただ、惜しむらくは呉監督自身が故人で自分で売ることができないことである。
自主映画では「致命傷」である。でも、そこを金聖雄さんや遺族の方々が補って、『在日』上映に人が押し寄せれば、『在日』が再び脚光を浴びる。それだけの価値がある作品である。

 今度の上映は『在日』アンコールロードショウへの「試写」である。金聖雄監督の11年前の初々しい『花はんめ』が第三次「11AM劇場」で上映され、超満員になってから、日本全国で再上映がぼちぼち始まったように、『在日』も関係者が底力を見せて、満杯にしてほしい。そうすれば、必ず、口コミで拡がるから…。

*「夜あるいはなにものへかの註』は何回も書いていますが、3月20日金曜日、22日日曜日、それに25日水曜日で「ほぼ11AM劇場」で上映を打ちきります。作品が余りにも異様で、重いので、主催者であるボクにもう、ドクターストップがかかりそうなんです。残念ですけど、当分、都内の劇場では見れません。心残りが無いように、25日までに実際に見たほうが良いです。ドキュメンタリー界の長老がこれだけ、書いてきた作品はほとんどありません…。


 これが意外に読まれているんだ…。

 予想外のことが起こった。土曜日に上映した『天皇の名のもとに』+『沖縄のハルモニ』に急に客が増えたのである。

 二作品とも出来て25~40年も経つ古い映画である。『沖縄のハルモニ』なんか、40年前の原版日本語がもうひび割れて、急遽日本語字幕を付け加えたほど、ボロボロの映画である。こんな古い、そして監督が元「慰安婦」の前で、あからさまな醜態を演じる恥ずかしい映画のどこが面白いのか、作った当人(監督)が戸惑うほどの反応である。

 もう一つ、驚いたのは若い女性が多かった事実である。今まで以上にPR方法を変えたわけではない。強いて言えば、ここに文章を載せる回数を増やし、歯に衣を着せず、自称「評論家」、「半端者」を糞みそに書いただけである。ぼくの文章に喝采を上げた配給、興行の人たちも多かったと思う。貧相で、汚い、そして得体のしれない彼らに、どれだけ配給、興行の人たちは新しく売る商品(作品)にケチをつけられないように気を使い、接待してきたことか!

 それに監督自ら、舞台に出て、観客と対話を続ける方法はほとんどの監督が、「格好をつける」か「面倒」くさがって避けている。それをあえて、『沖縄のハルモニ』の老監督だけは毎回続けている。これをずっと続けるというのは、老身にとって大変な負担である。ましてや、「業界」の長老として威張っている「チョイ悪じいさん」である。業界の監督たちのかなりの部分は「日本映画学校ドキュメンタリーコース」の教え子である。それが40年も前の元「慰安婦」に命令されたとはいえ、美空ひばり「リンゴ追分」を歌詞を間違え、それに音痴の声で高らかに歌っているとなれば、示しがつかない。

 やはり、先日館内が一番沸いたのは、「東大一直線」「元全共闘」の優等生監督が、元「慰安婦」に「日本に勝ってほしかった」と高言され、驚いた監督がしどろもどろに「朝鮮人のハルモニが本当にそう、思ったんですか?」と念を押すところと、やはり「リンゴ追分」の絶唱であった…。でも、最終シーンでハルモニが「私は哀れな星の下に生まれてきたんです」と、実母がハルモニを捨て、日本人土工と駆け落ちしたことを、何故かボクに「告る」所は、今度はあれほど笑い続けた客が今度は、しくしくと泣き始める。

 上映後、観客と30分ぐらい対話を続ける。不明なところ、特にハルモニはなぜ故郷に帰らなかったか―明らかな「慰安婦」差別+生活ができない(日本にいれば生活保護の対象となる)ーを客は突っ込んでくる。丁寧にぼくの知っている限りのハルモニ像を伝える。ボクはもう「語り部」として生きているようだ。口コミで「令和退屈ボーイズ&レディーズ」の間で、「監督はチャラ爺だが、映画は面白いよ」と、ライン、ブログ、それに他のSNSで拡散されているようだ。

*3月24日が春最後の『沖縄のハルモニ』+「東大一直線」のなれの果て監督のトークショウがあります。ハルモニに会いたい人はぜひ、来てください!