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ハービー・山口写真展「パレスチナへの恋 空遠く」

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パレスチナを舞台にした映画『オマールの壁』公開にあわせて写真家のハービー・山口氏による展示を行います。


「パレスチナへの恋 空遠く」

1973年、23歳の時でした。私はクウェートに行き産油国の撮影をしたことがあります。当時日本では第一次石油危機の真っ最中で、産油国の人たちはどんな暮らしをしているのだろうかという興味があったからです。
ある日クウェートの大学を訪れた時、キャンパスでとても美しい女子大生にポートレイトを撮らせて頂きました。
その彼女がパレスチナからの学生でした。
シャッターを切った時「私は祖国パレスチナへは戻れないの」と寂しげな表情を見せたのです。
パレスチナとは、、?
それ以来ずっと彼女の瞳が記憶に残っていました。

あれから40年後、2013年10月、私は非営利団体「KnK 国境なき子どもたち」の要請で初めてパレスチナを訪れました。
分離壁という、イスラエルとパレスチナの間のみならず、パレスチナの領土をも分断する壁が、高さ9メートル、800キロの長さで立ちはだかっていました。
ベルリンの壁の2倍以上の高さでした。

パレスチナの人たちは自由にこの壁を行き来することは出来ません。閉じ込められているという表現が正しいでしょうか。
テロで何人もの命が失なわれても、どんどん領土が侵食されても、私がカメラを向けたパレスチナの人々は、決して他人を恨む表情は浮かべませんでした。
とても黒く澄んだ透明な瞳が返ってきました。

人々は私に言いました。「私たちはテロリストではないの。ただ私たちの子どもが、将来、恐怖を感じないで生きていって欲しいだけ!政治がいけないんだと思う。いろんな国の人たちと私たちは皆んな兄弟同士でしょ! 何故?」

あの時のクウェートの大学で見かけた彼女が無事祖国に戻っていたら、もう60歳を過ぎていて、この国にいるかも知れません。
出会う人たちの中に彼女の面影を探していたのが正直な気持ちです。でも会える筈もなく私は帰国しました。

パレスチナの人たちの瞳を世界の人々に見てもらう、それが写真家としての役割だと思います。

2016.4.16 ハービー・山口


ハービー・山口 プロフィール
1950年、東京生まれ。中学2年生の時写真部に入る。高校、大学と写真部で過ごし、片時もカメラを放さなかった。1973年、ロンドンに行き10 年を過ごす。ロンドンでは、劇団に入り役者として100回の舞台を踏む。折からのパンクムーブメントを体験し、街の人々にカメラを向ける一方、無名時代のボーイ・ジョージと同居するなどしながら、ミュージシャンの写真を撮る様になる。1980年代中頃に帰国し、日本のミュージシャンの写真を撮るかたわら、若者から老人たちの素顔に迫ったポートレイトが高く評価されるようになった。写真以外にも、エッセイ執筆、ラジオのパーソナリティーなどもこなし、幅広い人気を集めている。個展、写真集多数。
http://www.herbie-yamaguchi.com/