「映画が“映画のようなもの”にすり替わっているような気がする」という私のあいまいな違和感を出発点に始めた1stシーズン(第一回~第三回)。その中で、吉田広明氏から「(デジタル化によって)人間の表象システム自体に変質が生じ始めているのかもしれない」という刺激的な意見をもらいました。確かに、変わってきているのは映画ばかりではなく私たちの方もかもしれない。だとしたら…?
イメージがイメージを自己増殖するようなデジタル=ソーシャル環境で、現実に見える(聞こえる)ものを使い、あるいは組み合わせて表現することの緊張は、限りなく薄れつつあるようにも思えます。2ndシーズンでは吉田氏もホストに加わり、多彩なゲストとともに、映画と私たちのリアルがどのように変容していくのか考えていきます。うう、大変…。
(七里)
日時:11月15日(土)18:30開場/19:00開演
料金:¥2,000
吉田広明(映画批評)、七里圭(映画監督)
ゲスト:平倉圭(芸術理論)、土居伸彰(アニメーション研究・評論)
連続講座1stシーズンの終局に上演されたライブ「映画としての音楽」の映画版を初公開。その作品の検証を通して、デジタル化やソーシャル化、はたまた映画とサウンドトラックの関係の変遷など切り口をスライドさせながら進めてきた前三回の講座内容を振り返ります。さらに、ゲストを交えて2ndシーズンの討議も展望します。
※上映に引き続いて講座を行います。
上映作品:『映画としての音楽』(2014年/56分/HD)
監督:七里圭
テキスト:日夏耿之介訳「院曲撒羅米」(オスカー・ワイルド作「サロメ」)
音楽:池田拓実、さとうじゅんこ、徳久ウィリアム、山崎阿弥、sei、山形育弘、古賀彰吾、今藤哲平、長宗我部陽子、飴屋法水 他
詳細はこちらをご覧ください
日時:11月27日(木)19:30開場/20:00開演
料金:¥1,200
平倉圭 × 吉田広明 × 七里圭
ヒトの感覚と事物の関係を組み換え、記述されるべき細部を新たに発明するデジタル技術。ソーシャルメディアとは、サイボーグ化された私たちの身体の現実なのかもしれません。圧倒的な高解像度のゴダール分析で話題を呼んだ気鋭の研究者を迎え、『ソシアリスム』の解析からゴダールの外へ、私たちの現実を深く揺るがすような映画表現を求め、「具体例」を通して考えます。
※ゴダール他、「具体例」としての作品分析を実演します。
日時:12月14日(日)18:00開場/18:30開演
料金:1,200
土居伸彰 × 吉田広明 × 七里圭
私たちがリアルと考えている世界は実はひとつのフィクションに過ぎず、夢と現実、過去や未来といった秩序は、仮の常識に過ぎないのかもしれません。にわかには掴みがたい大きな流れが現実を席巻しつつあるなか、アニメーションは、実写では捉えきれず、描線によっても届かない何かを呼び込む霊媒(メディウム)として機能することで、その流れにアプローチしはじめています。アニメーションの最前線から、映画の現在を見直す試みです。
※参考作品のダイジェスト上映があります。
七里圭(映画監督)
1967年生まれ。「のんきな姉さん」(2004)「ホッテントットエプロン-スケッチ」(2006)「眠り姫」(2007)「マリッジリング」(2007)、以上劇場公開長編映画。建築家・鈴木了二との短編「DUBHOUSE」(2012)が、2013年の25FPS国際映画祭でグランプリ。アクースモニウムなどの上映パフォーマンスにも取り組んでいる。
平倉圭(芸術理論)
1977年生まれ。横浜国立大学教育人間科学部准教授。近現代芸術のミクロ構造分析を通して、技術的環境に埋め込まれた集合的知覚-行為システムの働きを研究している。著書に『ゴダール的方法』(インスクリプト)、共著に『ディスポジション:配置としての世界』(現代企画室)、『美術史の7つの顔』(未來社)、論文に「多重周期構造――セザンヌのクラスター・ストローク」(『ユリイカ』)など。
土居伸彰(アニメーション研究・評論)
1981年生まれ。国内外の映画祭等でアニメーション作品をキュレーション。2014年には、GEORAMA、新千歳空港国際アニメーション映画祭の立ち上げに関わる。編著に『ドン・ハーツフェルト』(CALF)、訳書に『ライアン・ラーキン やせっぽちのバラード』(太郎次郎社エディタス)など。boidマガジンにて「Animation Unrelated」連載中。