イベント EVENT

トリン・T・ミンハ『ここのなかの何処かへ――移住・難民・境界的出来事』日本語版刊行記念 上映&トークイベント

詳細 DETAIL

【トークショー内容変更のお知らせ】


このたび、今福龍太さんと吉増剛造さんをトークゲストとしてお招きする予定でしたが、諸事情により吉増さんの参加が急遽不可能となりました。すでにご予約いただいた方々には、深くお詫び申し上げます。それに代わり、当日は今回のイベントのために特別に吉増さんが創作する詩作品を、トリン・ミンハの未発表の音源に乗せて今福さんが朗読。三人が奄美で共有した濃密な時間・記憶を呼び起こし、二人の不在からその影を現前させる対話の試みを行います。観客の方々には、吉増さんの作品(複製)をプレゼントさせていただきます。何卒ご理解賜りますようよろしくお願い申し上げます。

イベント担当:平凡社・水野、UPLINK・桑原

ポストコロニアリズムとフェミニズムの代表的映像作家・思想家の一人、トリン・T・ミンハによる20年ぶりの評論集『ここのなかの何処かへ』日本語版刊行を記念して上映&トークイベントを開催!

1980年代以降、ヴェトナム系アメリカ人女性としての自らの異質性を足場とし、領域横断的に思考しながら旅するなかで独自の文化批評空間を立ち上げてきたトリン・T・ミンハ。約20年ぶりに満を持して放たれた今回の評論集には、これまで明かされることのなかった故国ヴェトナムにおける出自の物語に加え、日本文化論、人種主義の亡霊が回帰するアメリカや3・11後の日本といった現実政治への直接的言及など、彼女の新たな一面が垣間見られるエッセイが数多く盛り込まれている。

イベントでは、トリンと長年にわたり対話を続けてきた訳者の小林富久子がホストとなり、文化人類学者の今福龍太、詩人の吉増剛造をゲストに迎え、今回の著作とも関係の深い映像3作品――出世作にして最高傑作と名高い『ルアッサンブラージュ』、ヴェトナムにおける女性史を綴った『姓はヴェト、名はナム』、日本を対象にした『四次元』――を改めて観直すことで、トリン・T・ミンハの足跡を辿り直すとともに、その魅力の真髄に迫る。

“elsewhere, within here”――ここのなかの、何処か別の場所へ。自己と他者、内と外、主観と客観、日常と非日常、西洋と非西洋、中心と周縁…。そのいずれにも属することなく二項対立の境界線上にとどまりながら、世界を翻訳し、揺さぶってみせる。トリン・T・ミンハの越境の詩学は、未だ強度を失うことなく私たちの世界を見る目を相対化し、思考を刺激してやまない。


トリン・T・ミンハ:プロフィール
1952年ヴェトナムのハノイに生まれ、サイゴンで育つ。70年、米国に移住。イリノイ大学大学院で博士号取得。セネガルの国立ダカール音楽院で3年間音楽を教えた後、米国に戻りドキュメンタリー映画を制作。詩人、作家、映像作家、作曲家。現在、カリフォルニア大学バークレー校教授。著書に、『女性・ネイティヴ・他者』(1989[岩波書店、1995])、『月が赤く満ちる時』(1991[みすず書房、1996])、『ここのなかの何処かへ』(2011[平凡社、2014])、映像作品に『ルアッサンブラージュ』(1982)、『ありのままの場所』(1985)、『姓はヴェト、名はナム』(1989)、『核心を撃て』(1991)、『愛のお話』(1995)、『四次元』(2001)、『夜のうつろい』(2004)があり、ブルー・リボン賞(実験的長編部門)、マヤ・デレン・アワード、サンダンス映画祭の審査員ベスト・アワードなど、多数の賞を獲得。米国内のほか、欧州、アフリカ、アジアで積極的に講演活動を行い、ポストコロニアリズムの尖鋭な思想家として、学生、知識人のあいだで熱烈な支持を得ている。

〈書籍案内〉
『ここのなかの何処かへ――移住・難民・境界的出来事』

(小林富久子訳、平凡社、A5判272頁、3,800円+税)
9.11以降、世界で変化したさまざまな境界──人種、ジェンダー、階級、文化──をめぐる政治の在り方を文化横断的に考察した、トリン・T・ミンハによる最新の評論集。日本語版への序文──3.11「もしもあの時に……」を収録。


【上映作品】


プログラムA

『ルアッサンブラージュ』

©Still from REASSEMBLAGE by Trinh T. Minh-ha, Courtesy Moongift Films
(1982/カラー/40分/配給:イメージフォーラム/原題:Reassemblage)
監督、撮影、脚本、編集:トリン・T・ミンハ
制作:ジャン=ポール・ブルディエ、トリン・T・ミンハ

「再組み合わせ」を意味するタイトルのこの映画は、トリンがセネガルの国立ダカール音楽院で3年間教えた後に制作した初めての映画。セネガルの部族の生活を映し出しながら、同一カットの繰り返し、極端なクローズアップ、ジャンプカット、ナレーションのズレなどを意図的に使用することによって「見る」という行為そのものを前景化し、ドキュメンタリーの民族誌学的なアプローチと「客観性」を再審に付す。「リアリティは繊細である」というナレーションは、その後のトリンの映画とエクリチュール全般の基調低音となった。


『姓はヴェト、名はナム』
©Still from SURNAME VIET GIVEN NAME NAM by Trinh T. Minh-ha, Courtesy Moongift Films
(1989/カラー+白黒/108分/配給:イメージフォーラム/原題:Surname Viet Given Name Nam)
監督、脚本、編集:トリン・T・ミンハ
撮影:キャスリン・ビーラー
装置、照明、制作補:ジャン=ポール・ブルディエ

「娘は父に服従する。妻は夫に服従する。未亡人は息子に服従する」――昔から繰り返されてきた伝統的な隷属の物語を英語で語るヴェトナムの女たち。ヴェトナム戦争の悲惨な記憶、そして解放後もつづく支配される性としての女の過酷な状況。だがそれは私的な体験を語ったものではなく、女優が再現=代行したものだということが映画の途中で明らかにされる。他者の言語によって語られた「サバルタンの体験」を仮構すること、この二重の操作によってトリンはリアリティとは何か、ドキュメンタリーとは何かを見る者に問いかけている。


プログラムB

『四次元』

©Still from THE FOURTH DIMENSION by Trinh T. Minh-ha, Courtesy Moongift Films
(2001/カラー/87分/原題:The Fourth Dimension)
監督、撮影、脚本、編集:トリン・T・ミンハ
制作:ジャン=ポール・ブルディエ、トリン・T・ミンハ

トリン・T・ミンハによる初のデジタル・ビデオ作品。来日時に撮影されたもので、日本における社会的・文化的儀礼の記号性を捉えたロラン・バルトの『表徴の帝国』を映像化したような趣がある。寺院、茶室、居眠りをする乗客を乗せて走る電車、数々の祭り、ネオンサイン……。4カ月の滞在のあいだ、デジタル・ハンディカムを片手に各地を旅しながらトリンが切り取った映像のなかには、ありふれた日本の風景と人々が見せる何気ない仕草が「見知らぬもの」の様相をまとって浮かび上がる。道元禅師、大江健三郎、松尾芭蕉、夏目漱石などの言葉を通して、イメージとしての日本が開かれてゆく。


【トークショー】


ゲスト:今福龍太(文化人類学者、批評家。東京外国語大学大学院教授)
Bプログラム上映後、今福龍太さんと吉増剛造さんをトークゲストとしてお招きする予定でしたが、諸事情により吉増さんの参加が急遽不可能となりました。それに代わり、当日は今回のイベントのために特別に吉増さんが創作する詩作品を、トリン・ミンハの未発表の音源に乗せて今福さんが朗読。三人が奄美で共有した濃密な時間・記憶を呼び起こし、二人の不在からその影を現前させる対話の試みを行います。観客の方々には、吉増さんの作品(複製)をプレゼントさせていただきます。