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チェルノブイリの真実~追い続けた10年間、生命の映像記録~広河隆一トーク付き上映

詳細 DETAIL

フォトジャーナリストでDAYSJAPAN編集長の広河隆一によって
15年前に製作された幻のドキュメンタリーを上映。
チェルノブイリ原発事故からの10年間を追った本作品。
そこにはおびただしい放射能汚染に直面した村人たちの被害の実態が克明に映し出されていた…

上映後に、広河隆一氏のトークがあります!
チェルノブイリ原発事故後、広河氏はチェルノブイリこども基金を設立し、現地に保養所を建設しました。
福島原発事故後にはその思いと経験をもとにいち早く沖縄に保養所を建設しました。
当日は特別映像を交え、チェルノブイリで何が起きたのか、
福島で何が起ころうとしているのか、語っていただきます。

荒廃し死地となった村や町には昔、素朴で穏やかな日々がありました。
たくさんの人が故郷を奪われ、そしてガンなどの病気で命を失いました。
子どもたちの姿は、目を背けたくなるほど痛ましくつらいものです。

「因果関係がない」
チェルノブイリをはじめとしてスリーマイル、ハンフォードやセラフィールド、
核施設、核実験周辺で起きた各地の健康被害の実態の不自然さを
人間的な感性で捉えたとき、その言葉はどんな風に響くでしょうか。

チェルノブイリでは事故後、放射能の汚染状況は住民に知らされず、
多くの人が現状を認識できずに被曝し、深刻な健康被害が広がりました。
そしてIAEAの介入。

それと同じことが今、どこで起こっているのか。
私たちの住む、ここ日本です。

それでも出来ることはただひたすらに嘆き悲しみ、怒り、恐がることだけではない。

チェルノブイリの今、福島のこれから。
27年前の事故でさえ、今も収束とは到底いえない健康被害の実態があるなか、
そこから何を学び、何を選択していけばいいのか。

常に現場に立ち続けるジャーナリスト、
広河隆一氏の真摯な言葉をぜひ聞きに来てください。

『チェルノブイリの真実―追い続けた10年間、生命の映像記録―』
(1996年/カラー/60分)

1986年4月26日、運命の日はいつもと変わらぬ気配で訪れた。たった3日間家を空けるつもりで避難した住民たち。それが悲劇の始まりとも知らずに…
事故発生から3年後の1989年、旧ソ連の立入禁止区域に西側ジャーナリストとして初めて足を踏み入れた。村が一つ、また一つ消えていく…覆い隠された事故の原因、自然界の異変が音もなく進んでいく。おびただしい放射能に汚染された環境のなか、新たな悲劇が始まった。自らの身に何が起きているのか知らない子どもたち。
全世界が衝撃に震えた旧ソ連チェルノブイリ原発事故。奪われた未来を取り戻すために、知らなければいけないことがある。チェルノブイリ原発事故に隠されたその真実に、フォトジャーナリスト広河隆一が迫る。人類史上例を見ない大惨事、あの日から10年。悲しみの大地に、人は何を見たのか。絶望の闇にあっても人は光を求めて歩いてゆく。人の行く手に希望がある。希望が滅びの荒野を満たす時、大地は再び甦る―
総監修:広河隆一

広河 隆一(ヒロカワ リュウイチ)プロフィール

1943年中国天津市生まれ。2歳の時日本に引き揚げる。67年早稲田大学卒業。卒業後イスラエルに渡る。70年帰国。以後中東諸国を中心に海外取材を重ねる。82年レバノン戦争とパレスチナ人キャンプの虐殺事件の記録でよみうり写真大賞受賞。83年IOJ国際報道写真展の大賞・金賞を受賞。89年チェルノブイリとスリーマイル島原発事故の報告で、講談社出版文化賞受賞。93年写真集「チェルノブイリから~ニーナ先生と子どもたち」で産経児童出版文化賞受賞。98年「人間の戦場」(新潮社)で日本ジャーナリスト会議特別賞受賞。99年「チェルノブイリ 消えた458の村」(日本図書センター)で平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞。2001年「チェルノブイリ 消えた458の村」でさがみはら写真賞、ノスタルギア賞の両賞を受賞。03年「写真記録パレスチナ」で土門賞受賞。日本写真協会年度賞受賞。04年フォトジャーナリズム月刊誌「DAY JAPAN」を創刊(編集長)。
2000年にチェルノブイリ救援の功績としてウクライナ大統領、国会議長から感謝状を贈られる。01年ベラルーシから国家栄誉勲章(フランシスコ・スコリナ勲章)を授与。11年ウクライナ有功勲章を授与。
DAYS被災児童支援募金代表。DAYS放射能測定器支援募金代表。未来の福島こども基金世話人。日本写真家協会会員。日本写真協会会員。チェルノブイリ子ども基金創設代表(現顧問)。パレスチナの子供の里親運動創設代表(現顧問)。日本ペンクラブ平和委員。