イベント EVENT

知られざるリトアニア映画の世界◆第二回「集中力の映画/シャルーナス・バータス特集」

詳細 DETAIL

知られざるリトアニア映画の世界
第二回「集中力の映画/シャルーナス・バータス特集」

Lithuanian Cinema Explored Vol.2
Cinema of Immersion / Sharūnas BARTAS

日本では紹介される機会の少ないリトアニア映画を上映するシリーズ「知られざるリトアニア映画の世界」。第二回目の開催となる今回は、映画監督、カメラマン、脚本家、そして俳優としてリトアニア映画界を牽引してきたシャルーナス・バータスの監督作品を特集。90年代に制作された三つの長編映画を上映します。台詞が一切存在しないバータスの映画世界に没入するための鍵はあなたの「集中力」です。

★上映会の当日はリトアニア大使館提供のお酒やお茶も無料でお楽しみ頂けます

※上映前には企画者のVika Mnoさんによる簡単な作品解説あり。
※『The House』のみオープニングとエンディングに1分程度、フランス語のモノローグあり。当日レジメを配布致します。
※DVD/プロジェクター上映


「私はとても単純なことについて映画を撮ろうとしている。私たち人間は、単純なものに集中することの技術を十分に持っているとはいえない。そしてそのような習慣もない。それには強さと努力と時間が必要なのだ。その時間こそが、私が自分自身そして観客に与えたいものなのだ」(シャルーナス・バータス)

「もし私たちが、事実を切り売りしたような情報の断片を与えるだけではない映画に開かれているとしたら、私たちは何かしらの新しい体験ができると思う。人には、退屈で居心地が悪いものや、その居心地の悪さへの恐れがある。しかしその居心地の悪さは、良いものにもなり得るのだ。単なる情報以上のものを提示するとき、それらはあなた自身のものになり、あなた自身の体験になる。他にはない唯一のものとして。情報はみんなのものだが、体験は自分だけのものなのだ」(フレッド・ケレメン/映画監督)

▼上映作品について

『The House』 (1997年/120分/カラー) *15:30より上映

「我が家。それがどこに存在するのか私はうまく言い当てることができない。ただそれが私の家だということだけがわかる。そこにはたくさんの人が住んでいる。人が入ってきたり、出て行ったり、またしばらく滞在したりするのだ。どれだけの人がいるのだろうと思うが、これだけひとつの場所からまた別の場所へとみんなが移り行くと推測するのは難しいだろう。時々、家がとても寒く感じる。時々、私たちはみんなで夕食をとる。でも、私たちが一緒であることは決してない」(シャルーナス・バータス)

『ハウス』は、人間の記憶が蓄積され、答えの無い問いかけが抱かれていく 「入れ物」としての心的空間を視覚的な比喩表現で描いた作品である。ほとんどすべて室内で撮影され、話は、ある若い男がマンションの一室からまた別の一室へと移動する中で無言のままに次々と様々な人物や場面に遭遇していく様子を追う。彼らは、時折簡単なやりとりを交わす他はそれぞれの孤独や超現実的な営みの中に没頭しているように描かれている。物語のような構成ではなく、人々の表情や状況をじっくりと見つめる拡張された時間の中で、夢想的で絵画の静物画のような ポートレートが光を放ちながら映し出されていく。


『Few Of Us』(1996年/93分/カラー) *18:00より上映

そこには、僕らしかいない。
まったく、僕らだけだというのに、
恐ろしい事に、僕らはそれでも離れ離れなのだ。

『フュー・オブ・アス』は、1986年にバータスが初めて完成させたドキュメンタリー映像作品で、シベリア・サヤン山脈奥地に存在した遊牧の民を取り上げた『トフォラリア』を元に制作された挑戦的で魅惑的な映画作品である。ドキュメンタリーと物語を結合させ、延々と続く美しい山々に囲まれたトフォラリアの民の生活を荒涼とした特徴ある映像描写で見せていく。かつては部族の儀式と伝統によって統治され、野生と共存する遊牧生活を営んでいたトフォラリアの人々だが、ソ連による強制的定住政策によって生活は破壊され、アルコール依存症が蔓延し、疎外された暮らしを余儀なくされている。主人公の女(ヤカテリナ・ゴルベヴァ)は、ヘリコプターに乗って僻遠のこの地へたどり着く。その理由や目的は明確に示されないが、半ば超俗的な存在として物事を外から眺める女のその視線を通じてトファラリアの人々の村での生活が描かれていく。


『The Corridor』(1994年/82分/モノクロ) *20:00より上映

『コリドー』は、国として独立を果たしたばかりのリトアニアを舞台にした憂鬱感ある瞑想的なエッセイである。作品は1994年に完成したが、その中の人々が橋を行進する場面、市街地での焚き火、キャンドルや祈りの場面は、50年に及んだソ連の支配が崩壊する直前の1990〜91年頃の政治的不穏に包まれていた時期に撮影されている。粗いモノクロームの映像で映し出されるストーリーは、主に首都ヴィリュニュスのとあるアパートが舞台となる。そこに住む人々の、断片化されコラージュ的に描かれるポートレートは、繰り返し挿入される薄明かりの「廊下」によって結びつけられ、文化的過渡期にあり、行き先の定まらぬ当時のリトアニアの社会状況を視覚的に暗喩している。他の多くのバータス映画においてもそうであるように、ここに現れる人物の間にはコミュニケーションの手段としての会話は存在しない。代わりに、くぐもった会話の断片、鼻歌、外界や部屋の中の雑音、音楽の断片など、繊細なサウンドスケープの重なりが語りかけてくる。ここでは映像は、音声に漠然と関連づけられるものとして、登場人物や鑑賞者である私たちのなかに芽生える親密で内的な体験を強調しているかのようだ。
▼シャルーナス・バータスについて

シャルーナス・バータスは、映画監督、カメラマン、脚本家、そして俳優として、傑出した影響力を持つリトアニア映画界を代表する人物のひとりである。彼の映画は処女作の時点ですでに世界的に注目を集め、ベルリン国際映画祭などで受賞。バータスの初期作品は、リトアニアという国におけるある特定の瞬間、すなわちソ連からの独立とソ連体制の完全崩壊を軸に制作されており、コミュニケーションの欠落、愛の不可能性、断絶、根源的な孤独といったテーマが扱われた。独自の視覚美学と黙想的な性質を持つバータスの映像は、アンドレイ・タルコフスキー、ベーラ・タル、アレクサンドル・ソクーロフ、フレッド・ケレメンなどと並んで論じられることが多いが、中でもハンガリーの映像作家ベーラ・タルとは、祖国のソ連からの独立という歴史背景が作品へ少なからず影響を与えている点においても共通している。彼の映像撮影技法は、現れるすべてのものの線や質感を執拗なまでに描写するその凝縮された視線によって特徴付けられる。


本特集上映の開催にあたって、当プログラム企画者は、バータス氏のプロダクションStudija Kinemaより代理人として任命され、上映許可を得ています。