この映画について


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イントロダクション

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アリは社会に多大な影響を与えた今も社会にとって偉大な存在だ

「ボクシング界の神」と称され、3度も世界ヘビー級王座を獲得するなど、名実ともにボクシング界の史上最強の男、モハメド・アリ。なぜ彼は「神」とまで呼ばれる人物に至ったのか。

12 歳でボクシングをはじめ、18 歳でローマオリンピック金メダリストとなり、ボクシング界に知れ渡ったアリ。対戦相手を挑発し、その後のラップにも繋がる言葉遊びとその独特のハードなリズムに乗った口調は、見るものを圧倒するインパクトがあった。

60年代になり、黒人たちへの人種差別に声をあげる公民権運動が盛り上がり、アリは、マルコムX らが所属する黒人イスラム教集団「ネーション・オブ・イスラム」への入信を機に、リングネームのみならず本名をモハメド・アリに改名。さらに、ベトナム戦争の徴兵拒否によりボクシング・ライセンスの停止、世界ヘビー級王座剥奪など、彼の言動は一層注目を集め、それはボクシング界に留まらず、マスコミを騒がせ、国内の世論を大きく動かすまでの存在になっていく。彼はブラックパワーの象徴となり、彼に影響されイスラム教徒に改宗する者が続出した。

本作は、アリの全盛期の貴重な証言や、ヘビー級の強靭な鋼の肉体がぶつかり合う試合の圧倒される映像はもちろん、彼とリングで対戦した10 人のボクサーたちが、当時の記憶を振り返り、アリが自分の人生に大きな影響を与えてくれたことへの感謝の気持ちを語り尽くす。また、リング上のみならず、対アメリカ国家との闘いに恐れを抱かずに邁進する彼の姿も映し出していく。本来であれば、最も輝かしい戦績を残せたであろう年齢にライセンスを剥奪され、試合に出られない状況下でも、時代にも周りにも流されずに、諦めず、自らの信念で道を開いていく彼の姿は、観る者の心を震わせる。

アリのドキュメンタリーや評伝は数多存在するが、本作はジャーナリストや観客の視点からではなく、実際に彼と戦ったボクサーからの視点で捉えることで、これまでメディアで喧伝されてきた挑発的な発言やセンセーショナルなパフォーマンスを繰り返す人物ではなく、あくまでひとりのボクサーとしての姿を浮き彫りにする。大きな悩みを抱え、現役時代を、そして引退後の人生を歩んでいる10 人のボクサーたちの言葉には、それぞれのアイデンティティを再発見していく過程が刻まれているが、それぞれのストーリーが折り重なることで、世界を変えうると信じられたアリのインフルエンスの大きさをあらためて強烈に印象づける。

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ボクシングの神、モハメド・アリ

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俺は世界を震撼させただろ 俺は世界の王だ
どんな刑罰を受けても、自分の信仰は揺るがない

─20歳の時のインタビュー
「俺は1月17日で21歳になる。 予言しよう。1963年には、最年少の世界王者になる。クーパーはリストンを倒すための肩慣らしさ。」

─リストン戦に勝利した直後の興奮冷めやらぬアリの言葉
「俺は偉大だ。22歳になった。俺が一番だ。世界に宣言した。毎日この言葉を繰り返す。俺は世界を震撼させただろ。俺は世界の王だ。俺は最高。俺は偉大だ。世界を揺るがした。」

─改宗についてインタビューに応えるアリ
「俺自身がイスラムの宗教だ。 多くの人は理解できないだろう。俺は他人の店で暴れ回る人間じゃない。白人と結婚する気もない。」

─カシアス・クレイからモハメド・アリへの改名時のインタビュー
インタビュア:「なぜモハメド・アリと呼べと?」
アリ:「イライジャ・モハメドの教えだ。これが本当の名前だカシアスは奴隷時代の名だ」

─ベトナム戦争徴兵拒否の際のコメント
「入隊についての答えはこうだ。俺は行かない。なぜ黒人と呼ばれる俺が1万6000キロも離れた土地に行って罪のない有色人種の頭上に爆弾を落とす必要がある?」
どんな刑罰を受けても、自分の信仰は揺るがない。たとえ銃を突きつけられても。」
「私はクリーンな試合で勝ちたい。だが戦争の目的は殺して殺して殺して殺し続けること。」

─引退会見
「この世界に長く居すぎた。今日この場でこんな自慢ができて幸せだ。私は永遠の王者だ。クリーンに戦い、復活し、引退する。私はクリーンに戦い引退する最初の黒人だ。」

─まだまだある!モハメド・アリ名言集
俺は他のボクサーより2倍優れている。相手を倒すだけではなく、どのラウンドで倒すかも俺の意のままだからさ。」
「アイツはブサイクだね。世界王者は俺ぐらいハンサムじゃないと。」
「マルコムXに背を向けたのは、人生で最も大きな後悔の1つだ。」
「指導者にはなりたくなかった。ただ自由になりたかった。」
「俺を自由の身にするか刑務所に入れろ。どっちにせよ、俺は自分の主張を貫き通す。」
白人が絶対に捕まえることのできない黒人になってやる、と固く心に決めていた。」
「ニクソンが辞めて世界に激震が走ったって?騒ぐなら俺がフォアマンを打ちのめしてからにしろ。」
「俺を打ち負かす夢でも見たんなら、目を覚まして俺に謝りな。」

プロフィール

リングだけでない、人種差別や反戦、病気と戦い続ける男の人生

1942 年生まれ。アメリカ合衆国の元プロボクサー。アフリカ系アメリカ人。本名同じ。旧名はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア。デビュー当初はカシアス・クレイと呼ばれていたが、1964 年に、マルコムXらが所属する黒人イスラム教集団「ネーション・オブ・イスラム」への入信を機に、リングネームのみならず本名をモハメド・アリに改名する。

1960年のローマオリンピック、ライトヘビー級金メダリスト。プロに転向するや無敗で世界ヘビー級王座を獲得。その後は3 度王座奪取に成功する。通算成績61 戦56勝(37KO)5 敗。人種差別と戦い、ベトナム戦争の徴兵拒否など社会的にも多くの注目を集めた人物である。現在は、パーキンソン症候群の闘病生活を続けている。

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監督インタビュー

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─まず、本作が日本で公開されることについてどう思いますか?

とても楽しみにしているよ。日本では1976年のアントニオ猪木戦での、精彩を欠いたアリの姿を思い出す人が多いんじゃないかな。確かにあの試合を契機に、アリはリング上で輝きを失ったけれど、この映画で、アリの栄光を蘇らせ、彼の素晴らしいキャリアと人生を伝えられることを願っているよ。

─本作は、バンクーバー国際映画祭での観客賞受賞など、観客たちの高い評価を受けました。実際、映画祭での観客の反応はどのようなものだったのでしょうか?

どんなに小さかろうが、自分のしたことを評価されるのはありがたいことだよ。この映画は、過去のアリの姿も十二分に楽しめるようになっている。ただ、これは彼と闘ってきた10人の素晴らしいチャンピオンたちの、時にエモーショナルで、時に愉快かつ感動的で、時に痛ましく悲劇的な物語なんだ。アリのことで涙ぐむ故ジョー・フレージャーなんて、めったに観られないんじゃない?アリに対する彼らの愛にも驚かされるけれど、彼ら全員の口から出た言葉なんだ。彼らにインタビューして、正直な気持ちや見識を直接聞くことができて、自分としては本当に楽しかった。映画の完成後、ジョー・フレージャー、ヘンリー・クーパー、ロン・ライルの3人が他界してしまい、ある意味、この映画は過ぎ去った時代の証のようなものになってしまった。

─本作には、アリと対戦した10人のボクサーが出てきますが、10人のインタビューにこぎ着けるのはやはり大変なことでしたか?10人のうち、最初に声をかけたのは誰だったのでしょうか?またその理由は?

あの10人は僕が最初からインタビューしたいと思っていた10人で、全員に登場してもらえて良かったよ。また、プロデューサーたちを納得させるための人選でもあった。最後にインタビューにこぎ着けたのは、特に要となるジョー・フレージャーとジョージ・フォアマンの2人だった。すでに編集段階に入っていたからギリギリで間に合ったんだ。最初にインタビューしたのは、イギリス人ファイターのヘンリー・クーパー卿だった。彼はアリが世界王者になる前と後に闘った唯一の人物で、さらにモハメド・アリになる以前の、カシアス・クレイ時代に闘ったファイターでもある。実際、1963年にヘンリーは“カシアス”を、驚異的な左フックでノックダウンした。もしあの時、アリが起き上がらなかったら、その後のキャリアはどうなっていただろう? 次の試合相手がソニー・リストンにはならなかったことだけは確かだね(まぁ結局、アリは大番狂わせでリストンに勝利したわけだけど)。ともかくアリは、並外れて頑丈なアゴを持っていた。ただし後々、そのアゴに致命傷を負うことになるんだけどね。

─今回インタビューした10人はどのようにセレクションしたのでしょうか。

死去しているか重い病気にかかっているために、候補に上げられなかった偉大なファイターもいた。ソニー・リストン、フロイド・パターソン、ジェリー・クオーリーは全員亡くなってる。ジミー・エリスは、アリとルイビル時代からの友人で、確かまだ存命だけれど、重度の認知症という厳しい闘いを強いられている。アリの対戦歴を語る上で不可欠なボクサーや、メディアを騒がせたアリの政治的・宗教的発言の場に居合わせた人物をセレクトした。フォアマン、フレージャー、ノートンは外せなかったけれど、全てのボクサーが作中で極めて重要な役割を担ってくれて、また驚きも与えてくれたんだ。

─一番印象に残っているのは誰のインタビューですか?本作の中には出てこなかった、使われなかったエピソードは何かありますか?

1970年代に育った僕は、10人のファイター全員を子供の頃から知っていた。だから、これは彼らに気を遣っているわけではなく、どのインタビューも最高だったし懐かしい気持ちにさせられた。ぱっと思い出す限りでは、アリに対して親愛の情を込めながらも感情的になっていたスモーキン・ジョー・フレージャーが、とても印象に残っているよ。あとは、家庭内で起きた子供とドラッグの問題を、悲痛な面持ちで語ってくれたときのジョージ・シュバロは、掛け値なしに素晴らしかった。それから、僕を睨み倒すように話す故ロン・ライルは、心底、格好よかったなぁ。レオン・スピンクスは、ほれぼれするほど陽気で、子供のようにオープンだった。ラリー・ホームズは、あるバースデー・パーティに一緒に行ったときに、ラインダンスを披露してくれた。アーニー・テレルとは、彼が育ったシカゴの街をドライブした。アーニー・シェーバースとリバプールで一日中、一緒に過ごしたことも忘れられない。ケン・ノートンには、僕は馬鹿みたいに、断りもなく頬にキスしてきた。ジョージ・フォアマンとはインタビュー後、ヒューストンにある彼の教会に足を運んで、彼が説教しているのを聞いたんだ。ヘンリー・クーパー卿は僕のばあやがファンだったこともあり、彼にインタビューできたのも感動的だった。うそ偽りなく、10人とも名実ともに素晴らしい人物だったよ。

─監督は今までアフリカの政治問題やエイズの実情等のドキュメンタリーを制作してきました。それがなぜ今回はボクシングで、モハメド・アリだったのでしょうか。本作を制作することになった経緯をお聞かせください。

子供の頃からアリの大ファンだったんだ。ボクサーとしての盛りを過ぎた、アリの後年の試合は観るに耐えず、戦い続けるべきではなかったと思う。だからデリック・マレーからこの話をもらった時、どんな映画にしたいか明確に思い描けたし、迷うことなく引き受けることにしたんだ。

─子供が亡くなったり、妻が自殺したりなど、大変なお話も中にはありました。信頼関係がなければなかなか話してくれないことだと思います。どのようにして彼らの心を開いて話してもらったのでしょうか。

良い質問だね。ジョージ・シュバロには、この企画が生まれた経緯や、われわれの目指しているもの、このインタビューのためにどれだけのリサーチを重ねてきたかを伝えた。さらには、僕自身が過去に麻薬戦争などについて調べ、文章にしてきたことも伝えた。シュバロに最も辛い質問をした時、つまりヘロイン中毒だった2人の息子について聞いた時に、彼はカメラの前で7分間、黙り込んでしまった。それで僕が、無理に話す必要はないと言うと、ようやく彼は話しはじめた。それはとても心を打つ話で、驚くほどの記憶力で昔の出来事を細部まで惜しみなく語ってくれた。あのインタビューなしには、この映画は成り立たなかっただろうね。

─10人のボクサーたちがいますから、これを編集するのは大変な作業だったと思います。編集において何か意識したこと、苦労されたことはありますか?

10人のボクサーの物語を、アリの話を損なわないままバランスを取ることが鍵だった。10人の物語に説得力があって、アリへの言及もしっかりとあれば、断片的でも問題なかった。彼らの話は、喪失からはじまって、苦痛、アリとの関係、KKKの襲撃、薬物中毒、困難の克服、等々どれも貴重で、どこをカットするか決め難かった。

─サントラについてですが、ジャズがとても効果的に使われています。ブラックパワーのことを意識しての使用だと思いますが。選曲に何かこだわりはありましたか?

個人的にソウル、ファンク、ジャズが好きなんだけど、時代背景や、映画が進行するのにはふさわしいかどうかで、多くはおのずと決まっていった。世界で活躍する(知名度の面で)B級のファンクスターたちによる、アナログ盤でしか聴けないような音源をたくさん使ったんだ。さらに、オリジナルの楽曲も取り入れるとグッと良くなると思ったので、ショーン・トーザーの音楽を加えた。彼のスコアと音楽監修は、圧倒的に素晴らしかった。彼はどんなジャンルでも抜群の仕事をしてくれたよ。僕の最新作『アイ・アム・ブルース・リー』でも、見事な音楽をつけてくれた。もちろん僕がブルース・リーなんじゃなくて、彼についてのドキュメンタリーなのでこんなタイトルになっているんだ。

─また、主題歌は監督と、ショーン・トーザーさんの共作によるものですよね。制作はスムーズに進んだのでしょうか。

映画の最後の部分で、少し違う雰囲気の、より感傷的な音楽が必要だと思い、アコギで歌詞も乗せて曲を作ることにした。ショーンはその曲に目一杯の魔法をかけて、“ワールドビート”風にアレンジしてくれたので、彼のクレジットも入れた。文句無しの作業の最中に、幸いにも小さなボリュームだったけれど、彼はどういうわけか僕のボーカルも入れてしまった。繰り返しになるけれど、作曲家としてのショーンの素晴らしさは、言葉では語り尽くせないね。

─本作が間もなく日本で公開されますが、本作から活力を得られる人が多いと感じています。監督から日本の皆様へ何かメッセージを頂けますでしょうか。

日本の皆さんが、今や年配(幾人かはさらに歳上)ではあるけれど、かつて時代を駆け抜けたボクシング・チャンピオンたちに接して、僕が感じたのと同じ味わいを感じてくれたらと思っている。これはボクシング映画ではなくて、僕たちと同じ悩みや希望、試練を抱えた、かつてボクシングをしていた10人の男、そしてアリの映画なんだ。ボクシングに興味がない人々も、ボクシングを嫌いな人たちさえも、この映画を楽しんでくれているようで嬉しい限りだ。それが僕のゴールだったからね。観た後で、人間というもの、そしてアリのことを好きになってくれたら本望だよ。

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監督:ピート・マコーマック

ウガンダ紛争とアフリカの政治問題を取り上げた『Uganda Rising』(2006)や、アフリカのHIV(エイズ)の残忍な実情を訴える『Hope In The Time of AIDS』(2007)など、強いメッセージを持つドキュメンタリーを制作。フィルムメーカーの他に、作家・シナリオライター・ミュージシャン・詩人・プロデューサーの顔も持ち、ヨガをこよなく愛す。

ミュージシャンとしての一面を本作でも発揮し、劇中の楽曲を制作。感動的なエンディング・テーマは、監督と、音楽担当のショーン・トザー氏による共作である。撮影中には、シカゴのジャズバーで、元世界ヘビー級チャンピオン、アーニー・テレルの前でギターを演奏した。

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フィルモグラフィー

『Uganda Rising』 (2006)

北ウガンダのアコリの苦境のドキュメンタリー。ウガンダ紛争とアフリカの政治問題を訴えた。脚本と、ジェシー・ミラーとの共同監督を担当。アカデミー賞受賞者ケビン・スペイシーがナレーターを務め、ナオミ・コムスキー、ベティ・ビゴム、サマンサ・パワーズ、マームード・マンダニ等のインタビューも織り交ぜている。

『Hope In The Time of AIDS』 (2007)

脚本・共同監督(ティム・ハーディ)として、サハラ砂漠以南のアフリカの地域におけるHIV やAIDS による惨状や、抗レトロウイルスにある可能性をテーマにした25 分のショートフィルム。ナレーションを務めたのは、スティーブン・ルウィスとロミオ・ダライア。

『フェイシング・アリ』 (2009)

2009 年10 月に行われたバンクーバー国際映画祭のドキュメンタリー部門において、観客賞を受賞。 他にも、チャドの仮設テントで暮らす女性たちをテーマにした『The Farchana Manifesto』(2009)など、ショートフィルムの制作も積極的に行っている。


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