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幻の日ソ合作映画『大東京』&亀井文夫『小林一茶』特別上映&トーク(フィオードロワ・アナスタシア×四方田犬彦)

詳細 DETAIL

映画が輝かしい発展を遂げた1920年代から1950年代、日本とソビエト連邦の映画史にはどのような接点があり、また何がその交流を動機付けていたのか。当時を物語る日ソの貴重なドキュメンタリー映画作品を通して体感する。


フィオードロワ・アナスタシア著『リアリズムの幻想──日ソ映画交流史[1925-1955]』(森話社)の刊行を記念して、日本とソビエトの映画交流とその影響関係を語るうえで重要となる作品の中から、とくに希少性の高い2作品を特別上映。
上映後には、『リアリズムの幻想』の著者であるフィオードロワ・アナスタシアと、映画史・比較文化研究家の四方田犬彦で、戦前から戦後にかけて、政治状況の変化に翻弄されながらも続けられた、ソビエトと日本の映画交流とその意味を語る。

上映作品①

『大東京』(原題:Большой Токио/1933年/モノクロ/50分)

監督:ヴラジーミル・シュネイデロフ/撮影:マルク・トロヤノフスキー/作曲:山田耕筰/解説:N・モローギン/製作:メジュラブポム・フィルム

【解説】1932年末、北極航路を調査していたソ連の砕氷船が、修理のため横浜に寄港した際に、東京の朝日新聞社の協力によって撮影された、日ソ初の合作映画。特高に目を付けられながらも、ソビエトの映画班は、当時の横浜港、銀座や浅草等東京都市部、日光や郊外の農村風景をカメラに捉えることが出来た。モスクワでは山田耕筰の指揮による録音作業が行われ、1933年7月に日本で初公開、同年の12月からはソビエトの映画館でロシア語版が上映されたが、その後の政治情勢などから、このフィルムの存在は長く忘れられていた。当時、日本とソビエトの2ヴァージョンが製作されたが、日本のアーカイヴにフィルムは現存せず、近年ロシアのアーカイヴから発見された。今回は、反日的な皮肉が込められたナレーションとモンタージュが特徴的なソビエトver.を上映する。

上映作品②

『信濃風土記より 小林一茶』(1941年/モノクロ/27分)

演出:亀井文夫/撮影:白井茂/録音:酒井榮三/音楽:大木正夫/解説:徳川夢声

【解説】1940年に長野県の観光課からの依頼で「信濃風土記」3部作として企画され、1作目の『伊那節』(フィルムは現存しない)に続く2作目の作品。信濃出身の俳人・小林一茶の俳句をモチーフに、厳しい自然と貧困の中で生きる信濃の農民の生活を、『関東大震災記録』(1923)、『怒涛を蹴って』(1937)などで知られるカメラマン・白井茂による、直線を活かした詩的な画面で描き出した。日本初の詩的ドキュメンタリーとしての評価も高く、亀井の最高傑作との呼び名も高い。画面からは、亀井がレニングラードに留学していた時期(1929-1931)のソビエト映画との接点も多く見受けられる。本作の公開後、亀井は、反戦的共産主義の啓蒙昂揚を図ったとの理由で検挙され、投獄されたという、いわくつきの作品でもある。

トーク登壇者

フィオードロワ・アナスタシア(Anastasia FEDOROVA)(『リアリズムの幻想』著者)
京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程(人間・環境学博士)、全ロシア国立映画大学博士課程(芸術学博士)、日本学術振興会特別研究員PD、イェール大学客員研究員を経て、国立研究大学高等経済学院(National Research University Higher School of Economics)東洋学・西洋古典学研究所(Institute for Oriental and Classical Studies)准教授。専門は映画史、日露文化交流史研究。
著作に“The Aesthetic of Montage in the Films of Kamei Fumio”(『映画研究』10号、2015年所収)、「自分の詩(うた)に立ち塞がった男――亀井文夫の戦後作品『生きていてよかった』(『neoneo』5号、2015年所収)、『ソヴェト映画[復刻版]』総目次・解説・索引(不二出版、2016 年)など。


四方田犬彦(よもた・いぬひこ)
映画史・比較文学研究家。
近著に『署名はカリガリ──大正時代の映画と前衛主義』(新潮社、2016年)、『日本映画は信頼できるか』(現代思潮新社、2017年)、『漫画のすごい思想』(潮出版社、2017年)、『1968』([1 文化]〔編著〕、[2 文学]〔共編〕、[3 漫画]〔共編〕筑摩書房、2018年)など。

書籍情報

『リアリズムの幻想──日ソ映画交流史[1925-1955]』(森話社)
フィオードロワ・アナスタシア[著]
A5判/296頁/本体4000円(+税)/ISBN978-4-86405-128-6 C1074
http://amzn.asia/358nksY

映画が輝かしい発展を遂げた1920年代から1950年代、日本とソビエト連邦の映画史にはどのような接点があり、また何がその交流を動機付けていたのか。
日ソ間における映画人の交流や、セルゲイ・エイゼンシテイン、ジガ・ヴェルトフなどの理論の紹介、日ソ初の合作映画となった『大東京』(1933)や、ソビエトへの留学を経て自らの映像表現を確立した亀井文夫などの作品分析を通して、両国の知られざる文化交流の歴史をたどる。政治状況の変化に翻弄され、イデオロギー統制や検閲にさいなまれながらも、日ソ間の交流を通して両国の映画人が求めた「リアリズム」とは何だったのか?

[主要目次]
[Ⅰ]無声期ソビエト映画のリアリズム───紀行映画の製作・受容を中心に考える
[Ⅱ]トーキー・リアリズムの不可能性───日ソ初の合作映画『大東京』(1933)
[Ⅲ]亀井文夫のモンタージュ美学
[Ⅳ]抑圧された愛国心を映し出す鏡───終戦直後の日本におけるソビエト映画
[Ⅴ]京都の侍、夕張の女坑夫───ソビエトにおける日本映画の受容


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