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連続講座 「映画以内、映画以後、映画辺境」

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もう「映画」ではいられない?

映画とは、何でしょうか?昨今、何が映画で何は映画でないのか判然としなくなり、そんな問いかけさえ無効な状況が、なし崩しに進行しているような気がします。その起因は、きっと、デジタル化にある(いや、それだけではないかもしれない…)。映画がデジタルにすり替わってきたこの十年余り、そこはかとなく違和感を抱きながらも、ぼんやり過ごしてきてしまいました。気がつけば何もかも情報化し、劣化しているようにも感じます。
この際一念発起して、デジタル化された「映画」がどこへ向かおうとしているのか、あるいは「映画」とはそもそもどこからやって来たのか、その過去と未来を射程に入れながら、「映画」とは何なのか、この現在において考察する機会を持ちたいと思います。ああ、大変だ… [七里圭]

第一回「そこにあるのかないのか、それは問題ではないのか?」
~「映画」はデジタル化によって何を得て、何を失ったのか~

吉田広明(映画批評家)× 七里圭(映画監督)

2014年2月2日(日) 18:00開場/18:15開演

映画がフィルムに撮影され、映写されることを当然と思い育った最後の世代である批評家と作り手が、「映画」という表現の原理に目配せをしつつ、映画を作ること、映画を見ることがどう変わったのか(あるいは変わらないのか)を考え、デジタル化された「映画」の現状を俯瞰し、この問題の盲点をあぶりだす。

吉田広明(映画批評家)
1964年生まれ。著書に『B級ノワール論』、『亡命者たちのハリウッド』(共に作品社)。「キネマ旬報」で日本映画新作評、サイト「映画の國」で日本未発売の海外DVD紹介コラムを連載

参考上映:「DUBHOUSE:物質試行52」デジタル上映

第二回「切断面がつながり続ける果てに」
~日常へ拡張する「映画」のようなもの、〝映像圏″をめぐって~

渡邉大輔(映画史研究者・批評家)× 七里圭(映画監督)

2014年3月22日(土)18:00開場/18:15開演

スクリーンからソーシャル・メディアへ拡張する映画的なもの、日常に氾濫する映像イメージについて、〝「映像圏」システム″という刺激的な論を展開する気鋭の研究者・批評家を迎え、デジタル化された「映画」の未来、「映像圏」の正体を探る。

渡邉大輔(映画史研究者・批評家)
1982年生まれ。現在、日本大学芸術学部、跡見学園女子大学ほか非常勤講師。著作に『イメージの進行形』(人文書院)、近刊共著に『アジア映画で< 世界>を見る』(作品社)がある。

参考上映:詳細は近日発表します。

※第三回は4月以降に予定しています。
※この講座に関連して、4月26(土)「音から作る映画/映画としての音楽(仮題)」[会場:アップリンク・ファクトリー]が上演されます。

主催:charm point 助成:アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)